人間を模索する人生

どうも初めまして、ヒロです。
初めての投稿ですので、自己紹介代わりに、僕の個性について少しお話しします。

僕は小さな頃からどこか達観しているようなところがあり、感情のコントロールが周りの人に比べて得意でした。
感情に支配されることがほとんど無いので、周りの人からロボットみたいと言われることもありましたし、自分でもそう感じることがあるくらいでした。

感情に支配されることはなくても、何らかの感情が芽生えることはもちろんありますし、その感情が(合理的でいようとする)思考を邪魔することもあります。しかし、他人と比べて自分は明らかに感情の起伏が小さく、感情的になることが少ないと感じていました。

この特性は大抵の日常生活を楽にしてくれました。常に感情よりも冷静な思考が優位であるので、感情的になって判断を誤ったり、強い感情に支配されてやるべきことに手が付かないといったこともありませんでした。もちろん親への反抗期も全くありませんでした。しかし、世間一般と感覚が違うことで、自覚なく人を傷つけてしまったりコミュニケーションがうまくいかなかったりすることはありました。人の言動に怒りを覚えないということは、自分がその言動をしたときに相手が怒るということを予測できないということでもあります。「自分が嫌だと思うことは他の人にしない」という心構えだけでは僕には不十分だったため、僕は常に「人はどういうことで怒るのか」を自分なりに観察・分析し、人が怒るようなことをしないようにして争いごとを避けてきました。

このように僕は自分の主観が当てにならないため、常に一歩引いた客観的な見方で人を観察・分析しています。そんな人生を送っていると、日ごろから「人はなぜ~なのだろう」と人の感情の動きに関する疑問を持つことがよくあります。そのような疑問について、20代まではあれこれ考えを巡らせてもなかなか答えが見つかることはなかったのですが、30代にもなると、答えまでは見つからずとも、「こういうことなのではないか」とある程度根拠に基づいた仮説を立てられるようになってきた気がしています。その1つ1つの仮説が正しいのかどうかは分からず、検証もできないのですが、自分の中で仮説を立てるだけ立てて心にしまっておくよりは、どれだけの人に見てもらえるかは分からないけれども人の目に触れるところに置いてみようと思いました。それが、僕がこのブログを始めたきっかけです。